壱色ノ匣:ヒトイロノハコ

モノガタリ綴り

【ねえ誰れか、】6


 
 けれど僕には云えない。
 彼が隠せているって思っていたその感情を暴いてはいけないから。 
 だけどだから誰れかお願い。

 神様がいるのならお願い。

 ・・・・・・・・・・・・早く夢から引きずり出してよ。
 あのひとを、連れ戻してよ。

【永遠】を、僕たちの永遠を、
 もう一度繋いで欲しいんだ。

【ねえ誰れか、】5


 
 本当に、【彼】の中には、
 なにも無いんだろうか。
 あの日々を、
 無かったことにしているんだろうか。

 本当に?
 ねぇ、本当に?

「なにを、探しているのかなぁ。おれ、なにか探しているのかなぁ。なんかさぁ、・・・・・・とてもだいじなもの。失くしたくないもの。・・・・・・だけど、それがなんなのか、わかんないんだよ、」
 空を見上げて、ゆっくり瞬きをして。
 寂しそうに微笑んで。首を傾げる。その横顔。端正な、横顔。―――あれ? と思った。
 あのひとに似ている。そう、感じたのは、一瞬だったけれど。

  ねぇ、どうして? そうやって探しているくせにどうして?
 なんで忘れちゃったの?
 そりゃあ、あんなことがあって。それは僕だって計登さんだってショックだったけど。
 でも、
 でもさ、

「おれぇ・・・・・・たいせつなもの。なんにもなかったはずなのに、」

  嘘つき! って。
 思わず叫びそうになったのを堪えた。
  ふざけんな! アンタにはあるんだよ! あるじゃん! 楽しかったじゃん。あの日々が、アンタに! 時雨さん、アンタにとって、何の意味も無かった物だなんて認めない。
 あのひとを、あのひとのこと、大切だからこそ、―――だから、忘れるしかなかったんじゃないか。

 

 

[Y/1]

 


「その手を掴んだのも離さなかったのも俺なんだけど。憐れみでも怒りでもましてや愛情なんかじゃ無いんだよな。掴んだ手はもうとっくに癒着してしまって離れることが無いんだ。離すつもりも無いけどさ」
 いつだったっけ。俺、なんか酔っ払ってた。
 別に訊かれた訳じゃあないのに、なんか勝手にそんなこと語ってた。
 彩夜(さよ)のはなしだ。
 あいつは、「そっかぁ」なんて柔らかく眼を細めて頷いてた。


 


 
 
        あいつをみてると、くるしくなるんだよな。

 

【ねえ誰れか、】4


 
 ほんとうは、

 計登さんが一番堪えているんじゃないかって、

 そう、
   思ってる。

 本人に云ったら、きっと。「んなわけーねーだろー」って怒るから云わないけど。
 ・・・・・・・・・・・・知っているから、云えないけど。

 

 

[S/3]

「―――あいつさぁ、」
 紫煙が揺れた―――様にみえた。
 錯覚だ。だって夜衣(よい)はもう煙草を喫っていない。夜衣が吐いたのは、ただの白い息。
 ぼくは夜衣に眼を向けて、それからその視線の先を追って天を見上げる。
 冬の夜空。澄んだ空気に星が瞬いている。月は細く、居心地悪そうに浮かんでいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どーすんの?」
 その声が少し震えていたのは、この寒さの中長時間こんな処に立っていたからだろうかそれとも、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・どう・・・・・・、」
 何気ない風を装ったぼくの声も震えていた。「ふぅー・・・・・・」と息を吐いて、云い直す。
「どうしたい?」
 夜衣がぼくを見たであろう一瞬の視線を感じたけれど、ぼくは夜衣を見なかった。
「・・・・・・べつに俺は・・・・・・、」
 ぼそぼそと、そう云った夜衣の声は、冷え切ったコンクリの上にほとりと落ちて消えた。
 暫しの沈黙。
 ビルの屋上、冷え切ったフェンスに凭れた背中。
 隣で盛大なくしゃみが聞こえた。
「あー、くっそ。寒いな。俺寒いの嫌いなんだよ」
 鼻を啜りながら、夜衣が肩を竦め、また空を見上げる。
「おまえ寒くないの? 俺より先に来てたじゃん」
 約束している訳でも無いのにいつもぼくらはここで落ち合う。そしてここから、
 同じ空を見ている。あの月のムコウの、
  おなじ〈■■〉を、――――――、

 

 


 
 ――――――――――――求めてるよね。

 

 

【ねえ誰れか、】3

 

 ああ、【永遠】という言葉が、こんなにも儚く虚しく霧散していく。
 
「大丈夫。アナタたちのことは、私が守る」
 僕はよっぽどな表情をしていたんだろう。幼い子供を宥めるような優しい笑みを浮かべ、でもきっぱりと云ってくれたのは、僕たちの所属している小さな音楽事務所の社長。あのとき、僕たちを見つけてくれた。そして必死で育ててくれた。彼女がいたからこそ僕たちはこうして存在していられる。このひとは、身内を捨てたりしない。僕たちを、放り出したりしない。このひとがこう云ってくれるのならきっと大丈夫。僕が頷こうとすると、
 がたっ、と。―――大きな音。
 眼を向けると、計登さんが足をテーブルにかけ、揺らしていた。
「・・・・・・・・・・・・計登、」
 社長が呆れたような心配そうな声を出す。
 がッ! がたがたがた、
 計登さんは椅子に座ったまま。腕を組んで。行儀悪く足をテーブルに掛けて揺らしている。
 目深に被ったキャップに隠れて、表情は見えない。
  がたがたがた、
 がたがたがた、
「計登、」
 がたがた、「計登」
がたん!
 テーブルが倒れる。カラカラと、上に載っていたペン
 室内に緊張にも似た静寂が満ちた。
 僕は息を止めていたのかもしれない。

「・・・・・・・・・・・・んな、」
 ぼそっと。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに云ってんだよ、」伏せた顔。見えない表情。低い、声。
「・・・・・・計登さん、」
「ふざけんなよ。なにが『守る』だよ。ふざけんな」
 そう云って、計登さんは立ち上がる。
「ふざけんな」
 低い。抑えた声。
「俺が、俺が守るんだよ。全部。あいつらのことも、都古くんのことも、《eternal》のことも。俺が!
 俯いたまま、両手をぎゅっと握りしめて。
「それは俺の役目だ、」
 きっぱりと。
 そう云うと顔を上げた。
 意志の強い大きな眼。眠れていないんだろう、眼の下には濃い隈がくっきりと。
 気圧されて、僕も社長もなにも云えずにいると、
 ふ、っと。力を抜き、少しあらぬ方向を向いてから、首を左右に倒し、
「ついでにアンタのことも守ってやるからよ。仕事取ってこいよ、社長(かーちやん)。バンド活動以外はなんでもやってやるよ」
 不貞腐れた顔をつくりながら、口許を笑みの形に歪めた。

[S/2]

空が青いと思い知ったのは夜衣(よい)が吐いた煙草の煙を眼で追いかけたときだった。
 ビルの屋上で吹きっさらしの真冬の澄んだ空を見て、セカイは美しいんだなって、理解した。
 白く淡い煙草の煙が、青く鮮やかな空にとけていく。あの日―――そう、あの日あの瞬間まで、ぼくらは―――
 ぼくらはふたりきりだった。
 ぼくらはひとりきりだった。
 ぼくらはふたりで、ひとつだった。
 ぼくらのせかいは、ふたりでひとつで、完結していたのに。