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小説と論説と絵


by 創作価値論
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240328 【振り返り】#17


 


Pixiv小説更新しました。
今週も始まったなと思えば、もう木曜日でした。


さて17の振り返りですが、もう2年前・・・ということで、
今回はさすがに文章力に不安を感じて、少しだけ本文整えてあります。

フランチェスカと伯爵夫人という事で、カテリーナ伯爵夫人の噂話が出てきますが、
これは前置きにあります通り、塩野七生先生という方の時代小説が参考になっています。
なので今回は二次創作ということになるのですが、史実としても差し支えないと考え、
氏の文を参照して描いていました。

参照した主な部分は、宿の主人が語っている
プリマドンナ・ディターリアが伯爵夫人を指すこと。
それから、「悪さをすれば、伯爵夫人がやってきますよ」という、叱り文句。
後は、複製画(ブロマイド)が売られていた、というのも、
氏の表現の中にあったものを、借りている形です。


・創作と伝承
しかし、あの戦国時代、地方が12年間守られたと言うのは事実であり、
そこから後世になって誇張されたと考えれば通用する話であります。
そして、このように話創られるならば、私は、アレッサンドロ公についても思うところがあり、
同公について、その逆視点を持って描いてみせようと思った次第です。



■付録・引用解説集
会話に結構、業界用語のような省略表現?が多いので、踏まえて解説します。


・「一人だけ動きの違うのが居る」
主人がフランチェスカを評価して言った言葉。
動きが違うと言うのは、一人だけ傑出して活躍している、(良い意味で)目立っている、
圧倒的という意味で、信頼や信望に繋がります。
仕事の仕方が違うという意味では無い。(文の前後で読み取れるようになっている)

「イタチ(イタリア語でドンノラ)の呼び名は女性(ドンナ)から来ている」
理由ははっきりしていませんが、これも実際に言われているそうです。

プリマ・ドンナ・ディターリア(イタリア第一の女性)
氏の小説より。伯爵夫人の異名、通り名です。
時代は中世であっても、後期イタリアで女性は賞賛され、政治参加には男性の後見人が必要でしたが、
法廷に単身立てるなど、その権利が社会に広く認められていました。

「フランチェスカが足場揺すって来るぞ!」
氏の小説「カテリーナ伯爵夫人が来ますよ」の同義語。#13に実践された描写あり

「いやぁ心配ねえ、今日の酒は一本多いから、俺あ、明日休みだ」
→俺は明日休むから、関係ねえ

ジュリオ二世
一般にはユリウス二世。ジェノヴァはスペリオーレ地区の貧しい家の出の教皇。
反撃に舵を切り、剣と十字架の両方を駆使して、イタリアに攻め入る外敵を排除しました。
特にスペインのボルジア家に対しては、交した約束も即座に破りさるなど、容赦をしなかったという。

・挿絵に関して
うさぎ食いをしているアウラクイン。うさぎアピール。
自分に矢が飛んでくること以外には興味を示さない、野うさぎの意。

「やりてえこと済ましたから、とりあえず心配事はねえな」
→わだかまり無く、明日を迎える知恵も大事→次台詞「明日は明日の風が吹く」その支度。
一つのアウローラ。


# by usacchi2006 | 2024-03-28 20:59 | 楽屋裏 | Comments(0)

240324 近況と挿絵概要


またうっかり間が空いてしまいまして、
絵も技術向上と構図と色々考えながらやる中、少し充電を挟んでいました。

#47はまとめなんですが、その纏めるのに苦労しまして、結局16日頃まで書いていました。
書きたいものが入りきらず、二項目くらい省いてやっときれいにまとまったかなと。
絵の方も構図決まったのが19日頃。見苦しくしたくないから、何日か置いたりして
熟考しつつ今日やっと本描きを始めたような状況です。
なので、更新は今週末ぐらいかな、丸々一ヶ月使ってしまった…。

#47は別に大きな話では無いです、ほとんど調整で時間食ってただけで。。
ついつい見せるためのものをと、考えてしまうのですが、
そんな立派な技術持ってないので、自分の欲しいと思うものを描けばいいんです、
それでいいんです



■挿絵について
挿絵も只描くだけでなく、意味を持たせているものが多くあります。
最近#16を振り返りましたが、あれはそのまんまです。
解説の通り、黄金の景色を映したつもりです。

近いところで#14、あれはアウラクインが金色に光っていることに意味があるんですが、
まだ絵もワカランチンな時なので、全然色が混ざって無かったりしてます。
けれど、過去絵だけに、登場人物の、その時だけしかない顔(絵柄)があるので、
そこが良いかなあと思います。継続で積み上げた宝です。

#15のあれは、グーグルマップ見ながら描いていました。
橋の真ん中から、西のほうに向かってです。
500年前だったらここはどんな景色だろうかと想像しながら。
構図は好きですが、まあ描き込み足りない、知能も足りない。



ーーーー

また振り返りもしたいと思います。
次は#17ですか、あれは番外編の様なもので、二次創作でもあります。
何気に挿絵二枚あります…あのころには、余裕があった。。
その代わり手抜きです

# by usacchi2006 | 2024-03-24 17:01 | 楽屋裏 | Comments(0)

■Brog版リンク

 


#16を振り返り解説したのですが、今回は前回解説からテーマを抽出し、コラムします。
今回その解説の詳細を、真理の実相、既存の価値観に対する批判的視点をもって説明します。

ーーーー



◇真価を見出すこと~その普遍性こそ平等の真理であれ◇


①アウラクインの様相に映る”明るめている”という行動は、どういうことか。

その少女がどう感じるかが、その少女の様相に映り出る。
そこで、回りの一切が、彼女を明るめていると知ったところで、
するとそれが今度は回りに映っていくんです。

こう書くと、日本人的には差し出されたものに感謝しろだの、場を濁さず振舞えとか、
そういう強迫性概念として捉えがちになってしまうと思いますが、
これは、何でもかんでも喜んでやればいい、という意味ではありません
後に書いてますが、
ものの元来ある価値に基づき、そこにあわせた評価(反応)を見せるということです。
せまっ苦しい、多分汚れているであろう店内でも、
それぞれ置かれている物、出される物、全て意味があります。
フランチェスカがパスタを見て驚くように、全部に意味があり、
そこを見出したのが、アウラクインの裁量であり、明るめたる理由なんです。
それが出来るのは善意価値の最高。だから回りも仲間として迎え入れてくれるんです。

そこにいる人たちは、当然毎日それらを噛み締めて、歓喜の中で過ごしています。
その騒がしい、五月蝿いなんです。
フランチェスカが言わせておけばいいと言った二の次で五月蝿いって怒鳴っているのも、
そういうことなんです。ただの馴れ合いでも無ければ、迷惑の五月蝿いではありません
意味が必ずあるんです。

ーーーー
現代では、子供の声が五月蝿いと苦情になったりします。その大体は通報者の身勝手に捉えがちですが、
ほんとに五月蝿い(景観にそぐわない)、中には嫌がらせのために親が子供に騒がせるものもある。
捻くれたりすると(特に某屑SNSなど)は、これは同じだ、だから良いとか悪いとか
言ったりしてますが、全く違う訳です。バカだって批判されてるのは、読めば大体こういうところです。
ーーーー


②感謝しろだの、場を濁さず振舞え「何でもかんでも喜んでやればいい」。
そのまま飲み込むのは、違う

社会の慣わしで、昔から、「雰囲気を悪くしちゃいけない。何でも上手くいかなかくなる」
といった価値観があると思います。実際、暗い環境でいい仕事がしにくいのは事実としてありますが、
これは何者かが①の道理を真似て創造した、真理≠価値、「創作」であることを、記しておきたい。
特に日本人はこういった価値観のものが多く、本当に、国ごと創作の中にあります。
だから正しいものもあれば当て外れのものもあり、特に、十数年程度過去はほぼ出鱈目です
特に危険なもので、平等・共生を謳いながら差別や迫害に進むのは、この弊害です。

ゆえに場の空気が悪いからそれはだめだといっても、その限りではない訳です。
本当に頑張るときというのは、悪環境とかを気にすることが出来ません。
また、そういった環境からこそ、善悪を見極めた正しい人が生まれてくるものです。

認知科学なるものがありますが、似たようなものです。
整った環境で無駄を省き、ただ技術を向上させる。これだけを、成長と呼べるでしょうか。


※「明るめ」ている?明らめているでは?
これは自身もどちらか悩んだのですが、明るめているは造語になります。多分ありません。
敢えて選ぶのは、明るめだと先に説明しました方の意味になってしまうんです。
明るく楽しく、だから、「何でも楽しくやりゃ良い」が先に取られがちになってしまう。
それよりはと、無意識にちょっと捻った部分で、そのままにした。あんまり上手くは無い



■平等の究極

作品内でも出てきますが、貴族が庶民に合わせるのは違う、その意味が前解説に当たります。
格好だけ合わせれば庶民的、それは違う。
政治家が小豆バー食ったから庶民的とはならないのになってしまうのが昨今であり、
これが衆愚というもの。

つまり、序盤のフランチェスカの言葉
「『民衆』という名が冠する通り、ここでは皆平等よ
そういうと貴族が庶民に合わせるようなニュアンスで取られるけど
あんなの平等でもなんでもないわ
その逆で、ここは貧しい身なりが来ても、蔑まず、追いやらず、迎え入れてくれる店よ」
が読めていれば、その旧日本的価値観にはならないんですね。
そういうところがほんとうに、彼女の人であり、宿客の一員として立派なところで、
皆が善意をもって受け入れてくれているところなんだと思います。
だから一つに、アウラクインが素質を発揮できるのも、彼女の存在があってこそかも知れません。

ーーーー
例えばこの宿が捻くれていて、新人が着たぞ、虐めてやれ、と
まずい料理を出してきたとする。そういうときは素直にまずい、と怒ればいいんです。
それは悪意を断つ、悪と対峙するということでもあります。
逆に喜んで食べたりすれば、そもそも噓ですから、
頭がおかしいのかと思われて、決してよくはならない訳です。
そこに黄金は映っていかない訳です。

飛んで#39の、翌夜では野菜粥を食べていますが、
素材それぞれの味がわかれば、まずい料理はそうありません。
知っている、ではなく、感じて取ることです。
ここでもフランチェスカが「肉や塩でしかウマイといえない奴にはわからない」と言っていますが、
そういうことなんですね。
あとは余談ですが、お腹が空けば何でも美味しい。これは誰でもそうです。
その頭があるから、おなかを空かせよう、という発想も、迷信ではなくある訳ですね
なんでもご馳走に匹敵するし、節約にもなります。
ーーーー




# by usacchi2006 | 2024-03-12 06:51 | 楽屋裏 | Comments(0)