腹の底から息を吐き出す。
躰ンなかに、なんかイヤなモンが混じっている気がするから。
だから俺は、下を向いて息を吐き出して、足で蹴って、それを散り散りにして。
それから上を向いた。
周囲を背の高い木に囲まれて空が丸くくり抜かれて見えた。まるで深い穴の中から、届かない空を見上げているみたいだ。
青色の中を、掠れた雲がゆっくりと流れていくのを眺めていたら少し呼吸が楽になった。
寄りかかっていたバイクから躰を離して、改めて周囲を見回す。静かだな。ここがほぼ都心だなんて嘘みたいな静けさだ。
しっかしこんなところよく見つけたよな。
苦笑しながら歩き出した。
[Y/3]
「―――なんで居ンのよ」
昼間の晴天がどっか行っちゃって、夜空は厚い雲に覆われている。天気予報って確か夜中に雨が降るって云ってたな。
「夜衣こそ、なんで来たのさ。寒いよ?」
「そう思うならもうちょっと着込みなさいよアンタは」
云い返すと、「ふふ、確かに」って笑って、ポケットに突っ込んでいた手を出した。
その両手には小さなペットボトル。
「まだあったかいよ」
「ふぅん。さんきゅ」
迷わずに左の方を取る。いつもそう、彩夜の右手には甘くてミルク多めのカフェオレ。左手には砂糖少なめの苦い珈琲。隣に並んでフェンスに背を凭れ、キャップを開けて口をつけた。
「んん?」
口内に広がる風味に、慌てて隣を見ると彩夜はどえらい顰めっ面をしてる。
「あれ? 俺、間違え・・・・・・てないよな」
夜でも街の灯りでこの場所すら明るい。雲に覆われて月明かりがなくてもそれは変わらない。手にあるボトルを確かめると『ミルクたっぷりカフェオレ』の文字。
「えー、・・・・・・悪い。取り替える?」
「・・・・・・・・・・・・不衛生だからいい」
ぼそっとそんな返事が来た。まぁそう云うだろうとはわかっていたけどさ。
「うん。なんかさ―――なんか、」
「うん?」
「来るんだろうなって、思ってさ」
「・・・・・・うん、」
「思ったから。買うじゃん。いつも。買うんだよ。ふたつ。2種類」
「うん」
「訊かずに、取るじゃん。いつもこっち」
「そーね。決まってるもん。もう、ずっと左が俺用だって」
「うん。そう。決まってるから、だから、」
「だから?」
「変えてみたかった」
「・・・・・・・・・・・・ふーん、」
「別に隠して持ってたわけじゃないし、良く見ればわかるじゃん。パッケージ? 違うし。だから、気付いてこっち取ればそれはそれで良かったし、」
ぼそぼそと、そう云って、彩夜はひとくち珈琲を飲む。「苦い」
「――――――苦いなぁ、」
「・・・・・・それでも、それブラックじゃないから甘いと思うけどね」
「うん・・・・・・・・・・・・、いや、でもぼくにはさ」
――――――にがいよ、
ぽつっと、
そう呟いて彩夜は空を見上げる。
俺も空を見上げて、そのついでにペットボトルの中身を全部飲み乾した。
「・・・・・・甘ぇ・・・・・・、」
見上げた空に、月は見えていないけれど、
けれど俺たちはきっと、同じ■をみている。
[Y/2]
「―――あー、・・・・・・ちがうか、『くるしい』じゃねーわ。『かなしい』?」
「ん? なんか云った?」
「違うな。・・・・・・なんだろう・・・・・・『くやしい』・・・・・・か、―――って、なによ寿里(じゅり)くん」
「なんかぶつぶつ云ってるから」
「え? なにが?」
「は? 自覚無かったの? やばいじゃん。大丈夫?」
「なに云ってんのよ、大丈夫に決まってんでしょーが。それよか寿里くん、さっきから倉見が呼んでるけど」
「え! あ、ホントだ!」
バタバタと慌ただしく寿里くんが撮影場所に走って行く。その向こうにはあいつが居て、珍しくぼーっと、空を見上げてた。その横顔に視線が縫い付けられる。
ほんっと、腹を立てるのも無駄だなって思うくらいに整った顔してんだよな。端正。って、ああいう顔のこというんだなきっと。背も高いし、手脚も長い。しかもすっげぇ良いパランスなんだよな。黄金比率でつくったトルソーみたいな。
「――――――声に出てたか、・・・・・・」
はー、と息を吐いて俺も空を見上げる。
「・・・・・・いーい天気だなぁー」
背後に感じる視線がある。俺を通り越してあいつを見ているに違いない。きっと、かなしい眼をしているんだろう。俺にはわかる。わかるんだ。
なあ、その手を掴んだのを後悔なんてしちゃあいないんだけどさ、
もう片方の空いている手は、誰れのためにあるんだろうな。
【ああ、やっぱり、】2
しあわせだった。
だからこわかった。
永遠じゃないから。
永遠なんて無いから。
変わらないものなんてない。
終わらないものなんてない。
だからぼくは、
このしあわせの終わりを見たくなかった知りたくなかった。
なのにぼくは、
このしあわせの、永遠を願った永遠を信じたかった。
きみのあなたのまっすぐなことばに、
あなたのきみのまっすぐなこころに、
縋りたかった。
だけどぼくは、
ぼくは、ね、
ぼくは、
・・・・・・疲れちゃったんだよ、
ぼくは、
ぼくは、――――――こわいんだよ。いまでも、
ねぇ、いまでも怖くてたまらない。だから、――――――――――――
【ああ、やっぱり、】1
そうだあなたはぼくのひかりなんだ。
だから惹かれたのに。
だから欲しかったのに。
なのにどうして、
どうして手放してしまったんだろう。
知らないままで居られたらよかったのに。
暗闇の中できっとぼくは、
声にならない慟哭を、
届かない焦燥を、
吐き続けるんだ。真っ赤な花を、真っ白な花を。
もがきながら悔やみながらいつまで、
いつまで生きていかなきゃいけないんだろう。
【ねえ誰れか、】6
けれど僕には云えない。
彼が隠せているって思っていたその感情を暴いてはいけないから。
だけどだから誰れかお願い。
神様がいるのならお願い。
・・・・・・・・・・・・早く夢から引きずり出してよ。
あのひとを、連れ戻してよ。
【永遠】を、僕たちの永遠を、
もう一度繋いで欲しいんだ。
【ねえ誰れか、】5
本当に、【彼】の中には、
なにも無いんだろうか。
あの日々を、
無かったことにしているんだろうか。
本当に?
ねぇ、本当に?
「なにを、探しているのかなぁ。おれ、なにか探しているのかなぁ。なんかさぁ、・・・・・・とてもだいじなもの。失くしたくないもの。・・・・・・だけど、それがなんなのか、わかんないんだよ、」
空を見上げて、ゆっくり瞬きをして。
寂しそうに微笑んで。首を傾げる。その横顔。端正な、横顔。―――あれ? と思った。
あのひとに似ている。そう、感じたのは、一瞬だったけれど。
ねぇ、どうして? そうやって探しているくせにどうして?
なんで忘れちゃったの?
そりゃあ、あんなことがあって。それは僕だって計登さんだってショックだったけど。
でも、
でもさ、
「おれぇ・・・・・・たいせつなもの。なんにもなかったはずなのに、」
嘘つき! って。
思わず叫びそうになったのを堪えた。
ふざけんな! アンタにはあるんだよ! あるじゃん! 楽しかったじゃん。あの日々が、アンタに! 時雨さん、アンタにとって、何の意味も無かった物だなんて認めない。
あのひとを、あのひとのこと、大切だからこそ、―――だから、忘れるしかなかったんじゃないか。